赤崎貴子
運動会が9割方自分の誕生日とかぶっていた。
その日はお祭り騒ぎが出来るネ!残りの1割は雨で運動会が延期になったときかな?
今城文恵
めちゃめちゃ変人だけどめちゃめちゃいい校長先生がいて、花と動物と牛フン(肥料用)であふれた小学校だった。
ある日、動物小屋の前を通ったら泣き叫ぶ大きな白ヤギを教頭が押さえつけ、校長が角を丸ノコかなにかでブイーンと切断して失敗して血が飛び散ってる阿鼻叫喚図に出くわした。凄まじかった。
あと小6のときの先生が、一生忘れられないくらい素敵な先生だった。
確実に人格形成に影響があったと思われます。
岩田裕耳
取り立てて何の思い出も残ってないのが思い出デス。
・・・・・・よく思い出してみて!
金沢啓太
小学生の頃に背が低い男子は後でめっちゃ伸びるよってよく言われました。
鈴木アメリ
小学生のとき引っ越しを二回して、だから三つの小学校に通いました。
長島美穂
信國輝彦
実家の目の前に公園があるのだけど、そこでずうっとサッカーしてた。当時、真っ赤なボールを蹴って、『ファイヤーショットだ!』と 言ってた。
いつか実家に帰省した際に母が小学生の頃の文集やらいろいろを見せてくれた。れんらくちょうの下の欄に先生とやり取りする交換日記のような部分があり、誕生日を心待ちにするさまがカウントダウンの記載とともに見てとれて、僕は何々のあれが欲しいんだ、と親でもない先生に切々と訴えかけていた。誕生日当日の日記。姉と弟にはそれぞれ何かが買ってもらえてて、僕には姉のお下がりの自転車が与えられたようだ。何も買ってもらえなかった事実に愕然としている記述の最後の締め方が『ぼくにはなにもかってもらえませんでした。でもね、いいの。』と綴られてて、堪らなくて、泣いた。
注目すべきは、忍耐強さよりも「でもね、いいの。」と書く可愛げ。
埜本幸良
5年生の夏休みに友達集めてポケモン大会して、当日までに6匹とも100レベルにしようと深夜までゲームしてたら親に止められて、代わりに兄が親からお金もらってやってくれていた。甘やかされてたんだなぁ。
よっぽどの異常事態だったんでしょう。この場合、一番いいのはお兄ちゃんのポジション。
あなたもジンドゥーで無料ホームページを。 無料新規登録は https://jp.jimdo.com から